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ローマ教皇フランシスコが来日するという。11月23~26日の間、長崎や広島などを訪問する予定だというが、これに関連して気になる記事を見つけた。
この高校は過去40年にわたって修学旅行で広島を訪問、語り部の話を聞くなどして平和学習を続けているとのこと。また、《東日本大震災で被災した岩手の高校生にとって、大勢の命が失われた出来事に思いをはせるのは特に重要な行事です》との校長の言葉からもわかるとおり、震災以降は、平和について考えるだけではなく、よりダイレクトに命について考える機会になっているようである。
それが、教皇の訪問という行事によって中止を余儀なくされる。上の投書にも書かれているように、まさか教皇がそれを望んでいたとは思えない。中止を決めたのがどこなのかはわからないが、おそらくは日本側(広島市かカトリック中央協議会か)の判断であろう。まあ最終的には、修学旅行生たちは教皇が出席する平和の集いに参列することが可能になったわけだが、この出来事は日本におけるキリスト教(というよりも宗教全般)の扱いを如実にあらわしている出来事だったと言えるだろう。
いまの日本において、宗教のプライオリティはものすごく低い。というかあからさまな嫌悪感を表明する人も少なくない。そんな中、教皇の来日に警備体制を強化するというのは当然とはいえそのことによって、修学旅行生らの宗教的行事(平和について考える時、あるいは死者に思いを馳せる時、そこには必ず祈りがある)を犠牲にしてもよいと判断したということがそれを示唆している。キリスト教国では同じような対応を取るだろうか。
一キリスト者としては大変憂慮すべきところではあるが、一方で、日本において宗教の必要性を説くことの難しさも痛感している。
38年ぶりとなる教皇の来日。これがどのような意味を持つのか。ふだん宗教とは無縁だと思っている人にこそ考えてもらいたいと願っている。